信仰
理想雀士さんと01さんの配信に、長村大氏(元麻雀プロ)が出演されていた。
その1
その2
長村氏は僕が麻雀を始めたばかりの頃に丁度ブレイクしていて、「デジタルの申し子」なんて呼ばれていた。
その頃から麻雀仲間が言う「流れ」というものに違和感を感じていた僕は、一発で長村氏の言う考え方に引き込まれ、長村氏の本も買い、下手糞ながら「デジタル」を自称するようになった。
当時の麻雀番組で、対局者も解説者も当たり前のように「流れ」や「体勢」といったものを前提に話を進めていく中にデジタルという新しい概念を持って立ち向かっていく長村氏がやけにカッコよく見えたものだ。
麻雀番組に出演する長村氏は熱い打ち手という印象だったというのも付け加えておきたい。
(むしろマンガの中での所謂「デジタル」っぽい打ち手は小林剛プロの方だと思う。)
当時は長村氏を信仰し、本を何度も読み、長村氏に少しでも近づきたくて麻雀を打っていたといっても過言ではなかったと思う。
いつしか時は流れ、長村氏はプロの世界から忽然と姿を消していた。
その間に僕はデジタルという考え方は捨て、デジタル派かオカルト派かなんて質問がきたら「絵合わせ派です(笑)」なんて言って笑って済ますようになっていた。
そして先日の配信で久々に声を聞いた長村氏は…
ダメ人間の完成形になっていた。
社会に出てからというもの、自分の社会不適合者っぷりを改めて痛感し、ダメ人間道を志すようになった僕にとって「これぞ完成形」という生き様を長村氏が体現していたのだ。
こうして私は一発で(以下略)
今度は麻雀プロとしてではなく、1人の人間としての長村氏の生き様を信仰していこうと思う。
要は僕が影響されやすい人間だということである。
あと僕は真剣に長村氏を尊敬してます。
尊敬してるが故の記事です。
マジで。
その1
その2
長村氏は僕が麻雀を始めたばかりの頃に丁度ブレイクしていて、「デジタルの申し子」なんて呼ばれていた。
その頃から麻雀仲間が言う「流れ」というものに違和感を感じていた僕は、一発で長村氏の言う考え方に引き込まれ、長村氏の本も買い、下手糞ながら「デジタル」を自称するようになった。
当時の麻雀番組で、対局者も解説者も当たり前のように「流れ」や「体勢」といったものを前提に話を進めていく中にデジタルという新しい概念を持って立ち向かっていく長村氏がやけにカッコよく見えたものだ。
麻雀番組に出演する長村氏は熱い打ち手という印象だったというのも付け加えておきたい。
(むしろマンガの中での所謂「デジタル」っぽい打ち手は小林剛プロの方だと思う。)
当時は長村氏を信仰し、本を何度も読み、長村氏に少しでも近づきたくて麻雀を打っていたといっても過言ではなかったと思う。
いつしか時は流れ、長村氏はプロの世界から忽然と姿を消していた。
その間に僕はデジタルという考え方は捨て、デジタル派かオカルト派かなんて質問がきたら「絵合わせ派です(笑)」なんて言って笑って済ますようになっていた。
そして先日の配信で久々に声を聞いた長村氏は…
ダメ人間の完成形になっていた。
社会に出てからというもの、自分の社会不適合者っぷりを改めて痛感し、ダメ人間道を志すようになった僕にとって「これぞ完成形」という生き様を長村氏が体現していたのだ。
こうして私は一発で(以下略)
今度は麻雀プロとしてではなく、1人の人間としての長村氏の生き様を信仰していこうと思う。
要は僕が影響されやすい人間だということである。
あと僕は真剣に長村氏を尊敬してます。
尊敬してるが故の記事です。
マジで。
コメントについて考えてみる
ブログをはじめてかれこれもう2年近くになる。
ネット麻雀のことやファンタジーサッカーのことを中心に記事を書いているのだが、ネット麻雀の記事は打たなきゃ書けないし(麻雀に対する深い思考や戦術の類は持っていないし…)、ファンタジーサッカーの記事は試合がなければ書けない。
そうなると、ネタが溢れてどうしようもない時期や、ネタが無くてどうしようもない時期が出てくるわけで。
『「ほぼ毎日更新している」ということが唯一の売りのこのブログで、記事が投稿されない日があれば死んだと思われるかもしれない』という素敵な勘違いも働いており、申し訳程度にゴキブリ以外の記事を搾り出して書いてみると、意外にも「ウケた」というコメントを頂けて悦に入れることがあるのだが、逆に、半日をかけて書いた渾身のネタが誰にも相手にされないことだってある。
どうやら自分じゃ面白いと思ってても客観的に見ればそうでもなかったりということや、その逆もあるみたいなので、時々頂けるコメントには気をつけるようにしている。
考えてみれば、コメントなどで他人から記事を評価していただけるというのは本当に有り難い事だと思う。現状では、客観的な評価を得られるおそらく唯一の手段でもあるし。
なので、「役に立つ情報など1つもなく、むしろ見て後悔することが圧倒的多数」であるだろうこのブログにわざわざ訪れてくださった上にコメントまで残してくれる方には足を向けて寝られない。
当然、いただいたコメントには全力でユーモラスな返信をしようと試みるが、これがなかなか上手くいかない。
自分自身の返信コメントがいまいちだったせいで、せっかくの自分の記事を台無しにしてしまったと思うことも日常茶飯事だったりする。
コメントをたくさんもらってるブログなんかを見ると、スゲェなっていう憧れもあるのだが、コメント返すの大変だろうな…なんて要らぬ心配までしてしまう。
(まぁそんぐらい人気のあるブログを運営するセンスのある人は大して苦労せずに返信コメントできるんだろうけど…。)
約2年ブログをやっていく中で、コメント欄からの新たな出会いもあったし、やっぱりこのブログにおけるコメントってのは重要なものなんだなってのは実感としてある。
(もちろん、コメントはしないけれど定期的に見に来てくださってる方の存在も把握しておりますし、そういった方の存在もブログをやっていく上で励みになってます。…っていうか僕自身が他人のブログを訪れる際はそんなタイプだし。)
コメントを重要視してるということは、コメントに左右されやすいともいえるわけで、もし私が何かの拍子でガードレールの話を書いて、それに面白いというコメントが付いたら調子に乗って1週間ぐらいガードレールの記事が続くかもしれない。 その際はどうかご勘弁を。
というわけで、コメントについて思うことを書きなぐったてみたわけですが…
この文章のメッセージとしては「もっとコメントをくれ」とか「あんまりコメントすんなよ」ってことじゃなくて、「どうか気軽に今までぐらいの頻度でコメントをいただければ幸いです」ということでどうかひとつお願いします。
…ものすごく難しい注文かもしれませんが。
ネット麻雀のことやファンタジーサッカーのことを中心に記事を書いているのだが、ネット麻雀の記事は打たなきゃ書けないし(麻雀に対する深い思考や戦術の類は持っていないし…)、ファンタジーサッカーの記事は試合がなければ書けない。
そうなると、ネタが溢れてどうしようもない時期や、ネタが無くてどうしようもない時期が出てくるわけで。
『「ほぼ毎日更新している」ということが唯一の売りのこのブログで、記事が投稿されない日があれば死んだと思われるかもしれない』という素敵な勘違いも働いており、申し訳程度にゴキブリ以外の記事を搾り出して書いてみると、意外にも「ウケた」というコメントを頂けて悦に入れることがあるのだが、逆に、半日をかけて書いた渾身のネタが誰にも相手にされないことだってある。
どうやら自分じゃ面白いと思ってても客観的に見ればそうでもなかったりということや、その逆もあるみたいなので、時々頂けるコメントには気をつけるようにしている。
考えてみれば、コメントなどで他人から記事を評価していただけるというのは本当に有り難い事だと思う。現状では、客観的な評価を得られるおそらく唯一の手段でもあるし。
なので、「役に立つ情報など1つもなく、むしろ見て後悔することが圧倒的多数」であるだろうこのブログにわざわざ訪れてくださった上にコメントまで残してくれる方には足を向けて寝られない。
当然、いただいたコメントには全力でユーモラスな返信をしようと試みるが、これがなかなか上手くいかない。
自分自身の返信コメントがいまいちだったせいで、せっかくの自分の記事を台無しにしてしまったと思うことも日常茶飯事だったりする。
コメントをたくさんもらってるブログなんかを見ると、スゲェなっていう憧れもあるのだが、コメント返すの大変だろうな…なんて要らぬ心配までしてしまう。
(まぁそんぐらい人気のあるブログを運営するセンスのある人は大して苦労せずに返信コメントできるんだろうけど…。)
約2年ブログをやっていく中で、コメント欄からの新たな出会いもあったし、やっぱりこのブログにおけるコメントってのは重要なものなんだなってのは実感としてある。
(もちろん、コメントはしないけれど定期的に見に来てくださってる方の存在も把握しておりますし、そういった方の存在もブログをやっていく上で励みになってます。…っていうか僕自身が他人のブログを訪れる際はそんなタイプだし。)
コメントを重要視してるということは、コメントに左右されやすいともいえるわけで、もし私が何かの拍子でガードレールの話を書いて、それに面白いというコメントが付いたら調子に乗って1週間ぐらいガードレールの記事が続くかもしれない。 その際はどうかご勘弁を。
というわけで、コメントについて思うことを書きなぐったてみたわけですが…
この文章のメッセージとしては「もっとコメントをくれ」とか「あんまりコメントすんなよ」ってことじゃなくて、「どうか気軽に今までぐらいの頻度でコメントをいただければ幸いです」ということでどうかひとつお願いします。
…ものすごく難しい注文かもしれませんが。

